光り輝く向こう側

"何か"に惹かれて、憧れて。その光の向こうへ。

自分自身について思うこと

せっかくブログを始めたのにあまり自分自身について書いていなかったような気がするので、今回は過去の出来事を交えつつ今、自分自身について思うことを書いていこうと思う。





ここ最近、というよりしばらく前から自分はいったい何が出来るんだろうか?自分の武器、強みは何だろうか?と考えることが多くなった。大学生にもなり、そろそろ将来や就職活動を本格的に見据えて準備なんかを始めなければならない。


就職活動に限らず、何かの機会で自己紹介をするときに自分はこういうことが出来る。自分の長所はこういうところです。というような自己アピールをして自分のことをあまりよく知らない他人に伝えることはとても大切なことで、就職してからもこのような機会が訪れることは多々あることだと思っている。


そのときに、自己アピール出来るものを今自分は持ち合わせているのか?と疑問に思った。そこで今までの出来事を振り返ってみることにした。





小学生の頃、3年生から卒業するまでの4年間少年野球をしていた。興味本意で入部し、休日は朝から夕方まで練習、時には放課後練や夜間での練習もしていて思ったよりもハードだったが休まずに楽しみながらしっかりとこなしていた。試合ではあまり活躍することが出来なかったけれど自分たちが最年長だった頃の時期は毎回試合に出させてもらえていた。


そして、中学生になったばかりの頃、ある授業のときに自分で何かテーマを決めて作文を作ることに。「努力」をテーマに小学生のときにしていた少年野球のことを関連付けて作文を作り、班代表としてクラスの前で発表することになった。


書いた作文を読み終え、自分の席に着こうと歩いていたときに当時同じチームで一緒に練習していた幼なじみの友人から「本当に努力したのか?」と急に言われた。少年野球をしていたときはそんなことを一度も言われたことが無く、今になってあの言葉を投げかけてきたことにかなりショックを受けた。どうやら彼には自分が努力して練習していたようには見えなかったのだろう。


確かに今思えば自分は与えられた練習メニューをこなすだけで試合に勝ちたいといった感情のようなものがなかったような気がする。他の人は練習以外にも自主練をしていたということもあったそうだ。


自分の中では努力をしている、頑張っていると思っていても、そう見られているとは限らないということと努力をすることは並々ならぬ時間を使い、その物事に向き合い続けることなんだと知らされた。






中学生の頃は軟式テニスをしていた。やってみたいなぁと思っていた競技であったためかモチベーションみたいなのが高く、練習以外にもコートを借りて同じ部活の友達とやっていたことも多くなっていった。そのお陰もあってか、団体戦のメンバー入りするようになった。


軟式テニスはテニスと違って中学生では個人戦でも二人一組のダブルスが主流でシングルスでやることが滅多にない。だから、自分だけの力では勝てないし、逆に自分がミスのしすぎでもう片方の人が何も出来ずに負けることもある。


そんな自分は、団体戦では1番手を任されることがほとんどだった。ある意味、あまりプレッシャーを感じずに伸び伸びと試合に挑むことが出来た。自分のペアが仮に負けてしまっても残りの2ペアが勝てば団体戦としては勝ちになるからだ。


そういうことが続いていき、最後の大会の3ヶ月前くらいに3番手に変わった。もちろん3番手なので自分のペアが負けてしまえば団体戦は負けてしまうし、それに以上に自分たちの代が終わることにもなる。そんな重要な役割に団体戦ではあまりプレッシャーを感じずに試合をこなしてきた自分に任されたのだ。自分と組むもう一人の人は、団体戦ではずっと3番手を任されていて自分でも信頼のおける人でもあった。


そして、最後の大会で試合を迎えた。自分はいつもよりも緊張していた。なるべく最悪の状況になることをあまり考えないようにすることに精一杯だった。もう一人の人はやはり何度もこういう状況を経験していることもあって冷静に見えた。そんな状況で試合が始まり、ポイントが奪われていくにつれてどんどん考えるようになってしまい、いつしかメンタルが崩壊していた。結果がどうであれ早く終わってこの感覚から今すぐにでも逃れたいとまで思うようになってしまった。いくら仲間から声をかけられ励まされてもそのメンタルを保つことが出来なかった。


ここまで来れば結果がどんなものだったのかは想像出来ると思う。ここでは、自分だけではなく試合に出る、出ない人たちや周りの人から期待や想い、願いなんかを背負って立つ準備や覚悟が出来ているか。その状況下でも自分の能力を発揮出来るようにしなければならないことを気付かされた。それと我慢すること。ペアで試合をするから自分がしたいことでも妥協せざるを得ないときもあるし、自分自身やペアの人、相手に対する苛立ちも耐える必要があった。






高校生になった頃、高校に入学した時から大学へと進学しようと考えていたが明確にまでは考えておらず、1年生の頃はあまり勉強せずに部活に没頭していた。学校でのテストではそこそこ取れていたし、模試では成績の変動が激しかったが、あと2年くらいあるから大丈夫だろうと思っていた。


そして、2年生になったばかりの頃、勉強に関して危機感を覚えるようになった。得意としていた教科までも以前よりも取れなくなってきていた。その遅れを取り戻すべく部活と両立しながら空き時間があるときはなるべく勉強しようと心がけた。だが、成績は上がらず、むしろ下がることもあった。


そんな状況が続き、3年生になった頃、親からは「留年させない」と言われた。自分があまり望んでいない大学へと通うことになってもいい覚悟を背負うことになった。そして月日が経ちセンター試験を受けた。その出来具合にあまり良くなさそうだなという不安の中で自己採点をしたとき、その不安通りになってしまった。この地点で第一志望はほぼ不可能となり、第二、第三ですら厳しい状況だった。それでも可能性はあるかもしれないと思い試験を受けるも不合格。結局、滑り止めで受けた大学に通うことになった。学んでみたいなと思っていた中のひとつだったため、それが唯一の救いだったのかなと思う。


早めに将来設計をし、それを達成するための計画をたてて、きちんと実行していれば今の自分の状況とは変わっていたのかもしれないなと。当たり前のことなのに、その重要性に気付くのが遅すぎてしまった。





細かいことまで挙げるとすれば他にもいろいろとあるが、そういうことがあって今の自分になっているんだなぁと。


結局、自分に出来ることや武器、強みは何だろうかと言われたら今のところはわからないと思う。でも、その経験によって得られたことを自分の今後の行動に活かすことでうまく見つかるのかもしれないし、時には教えてくれるかもしれない。それだけではなく、自分の性格的な面からも何かしら見つかるかもしれない。そういったことを「しよう」ではなく、「しなければならない」んだと思う。


もうそろそろで四月に入り、新しい季節が始まろうとしている。自分も学年がひとつ上がり、今まで学んだことのないものを専門的に学ぶようになったり、経験したことのないことをやるようになったりするだろう。だから、今年度はひとつでも何かしら自分が自信を持って言えるものを見つけたいと思う。